「10代の夢を、いまに繋げる」 愛媛出身のイラストレーター・坂本彩が語る“夢はいつか、必ず叶う”

坂本 彩
1992年生まれ。愛媛県松山市出身。
尾道市立大学芸術文化学部美術学科デザインコースを卒業。
上京後、デザイン事務所でアシスタントとして約6年間勤務。
その後、イラストレーターとして独立。日本各地をはじめ、さまざまな国や地域で広告や装画、イラストレーションを担当。

現在、フリーランスのイラストレーターとして多くの案件を手がける坂本さん。どのようにして“今”にたどり着いたのでしょうか。

柔らかな物腰の中に、ふと垣間見える芯の強さ。その姿勢からは、物事に実直に向き合う真摯さが感じられます。

今回は、坂本 彩さんに10代の頃から現在まで、そしてこれから見据える未来についてお伺いしました。

目次

きっかけは「友人がイラストレーターになったこと」

坂本さんの10代の頃のお話を聞かせてください。

出身は愛媛県松山市です。自然に囲まれた土地で育ったのですが、小学校の頃に歩いた何もない田舎道の風景は今でも時々思い出します。 ススキを引っこ抜いて、パタパタと振りながら歩いてみたりとか。

また、少女漫画が大好きで、小学生の頃から絵を描き始めました。少し昔話になりますが、高校生のときにインターネットで知り合った、絵がすごく上手な友人がいました。その子は「イラストレーターになりたいんだよね」と言っていたのですが、私は少し妬んでしまって、つい「そんなの無理だよ」とひどいことを言ってしまったんです。

その後、自然と疎遠になったのですが、気がついたらその子は売れっ子になっていて。

私にもそういった体験があります。悔しいなどの感情はなかったのでしょうか。

悔しいなとも思いましたが、その子はかなり努力もしていたので、それ以上にすごいなと思いました。

頑張ったら自分もいつか“イラストレーターになれるかもしれない”と、“やりたいと思ってしがみついていれば、何とかなるかもしれないんだ”と思えたきっかけは、その子との出会いだったなと今では思います。

そもそもですが、美術系の高校に行きたかったんです。ただ、周囲の人たちに「将来の仕事にならないから、やめたほうがいい」と反対されてしまって。

結局、地元の普通科の高校に進学したのですが、何を目指して勉強すればいいのか、だんだんわからなくなってしまいました。ちょうどその頃、体調を崩したこともあり、高校を辞めることに。

親には本当に申し訳なかったのですが、気がつけば予備校とバイトの往復で、半分引きこもりのような生活になっていました。そんな中で、親も「やりたいことをやればいいよ」と応援してくれるようになったんです。

それから『高等学校卒業程度認定試験』に合格し、広島の尾道市立大学に進学することになりました。

「“はじめて”に囲まれて世界が変わった」大学時代

尾道市立大学では、どんな大学生活を過ごされたのでしょうか。

「どんな夢を見ていたかな」(2020)

尾道には、いい意味で海と畑、山と空しかないんです。

徹夜明けに見た朝焼けがやけに綺麗だったり、学部内の友人とコンビニでお酒を買って海沿いを歩いたり、朝まで課題の制作や作品作りをしたりなど……。

何気ない日々というか、そういった繋がりがあった生活が楽しかったです。 

10代の頃、美術大学に行きたいという友人が周囲にいなかったこともあり、入学後に周囲の人たちや環境に刺激を受けました。高校を辞めちゃってるせいかもしれないのですが、友人ができたことで自分の見える景色、空気がすごく変わったなと。

夜中まで友人の家で課題に追われたこともありましたが、課題の結果よりそういった記憶の方が覚えてるかもしれないです。だからこそ、今の自分のイラストにも影響を与えているなと思っています。

あとは余談ですが、下宿が山の上にあったので虫がたくさん出ましたね。お風呂の床を知らない虫が歩いていることも……。当時は平気でしたが、今はもう住めないなと思います(笑)。

ただ、それだけ自然が豊かだということだと思います。

朝から晩まで手を動かしたデザイン事務所時代

どのタイミングから東京への就職を考えていたのでしょうか。

連弾(2023)

東京にはたくさんの展示がある、と教授がよく話してくれたのですが、尾道に住んでいた私にはいまいちピンとこなくて……。

ただ、「美術には当たり前がない」という考え方が強い東京で生きていくほうがいいんじゃないか、という思いはぼんやりとありました。世界のことをもっと知りたい、とも思っていて。

それに、『Adobe Illustrator』などのデザインツールに関する講義は基本的になかったので、独学で覚えました。「尾道や地元でできることをやったほうが絶対にいい」とアドバイスをもらうこともあったのですが、一度自分の目で見てみないとわからないなと。

このまま地元に帰ったら、そのまま永住してしまいそうな気がして。だからこそ、東京に行くことを決意しました。

その後、教授の勧めやご縁もあって、東京のデザイン会社へ。平日は仕事をして定時退社し、夜や休日は夢を叶えるために作業をする生活を続けていました。

とても大変な生活だったのではと思います。
続けていくなかで、心が折れそうになった瞬間はなかったのでしょうか。

20代の頃は、体力的にもまだまだ元気だったし、「イラストレーターになる」という強い夢があったので、徹夜続きでも心が折れることはありませんでした。描いている最中はつらかったのかもしれませんが、出来上がったものを見ると、その過程の苦しさなんて忘れちゃうんですよね。

詳しくは覚えていないのですが、「いつか絶対に自分の夢は叶う」と思っていたことは確かです。その根拠を人に説明するのは難しかったのですが、なぜか自分の中では確信があったんですよね。

なぜ「いつか絶対に自分の夢は叶うんだ」と思っていたのでしょうか。

ここから始まる私たち(2018)/渋谷駅のスクランブル交差点のイラスト

単純に、需要があるなと思っていました。アニメーションのようなイラストは今の時代、当たり前にありますが、昔はあんまりなかったじゃないですか。だからこそ、 時代の流れを踏まえて、「自分のこの画風だったらいつか夢が叶うだろうな」と思っていました。 

そんな生活を続けているうちに、ありがたいことに少しずつお仕事をいただけるようになりました。ただ、平日の夜や休日だけでは作業時間が足りなくなり、会社員との両立が限界だなと感じることが増えていって。それで、思い切って仕事を辞めることにしました。

お仕事を辞めるというのは、大きな決断だったと思います。
生活のことや将来への不安など、迷いはなかったのでしょうか。

当時は住居費が安かったこともあり、どうにかなるかなと。もし生活できなくなったら、またどこかで働けばいいやと、わりと楽観的に考えていましたね。

ただ、「イラストレーターになる」という目標だけを決めて、あとは深く考えずに進んできたので、気づいたら今の状況に辿り着いていた、という感覚があります。

妥協しない姿勢が次の仕事につながる

日々、イラストを描いていく上で、“これだけは譲れない”ことはありますか。

ピオレ姫路 クリスマスシーズンヴィジュアル
クライアント:JR西日本アーバン開発株式会社
AD:渡邉 真理子  D:植山 佳則[hyoujyou design works]

“絶対に妥協しないこと”ですかね。何となくで終わらせたイラストは、本当に薄っぺらい仕上がりになってしまうんです。妥協しないことが次の仕事につながると思っているので、違和感のあるパーツは必ず調整して、納得がいくまで作り込んでいます。

実は、お仕事をいただきはじめた頃、1枚にかけられる時間に限度があることにもどかしさを感じていました。そこで、一度だけ、2ヶ月かけて1枚のイラストを仕上げてみたんです。すると、それがきっかけで仕事が増えていきました。

最近は感覚を掴んできたのか、1枚を描き終えるまでのスピードも早くなりました。

お仕事に制作にと、とても多忙な日々を過ごされていると思いますが、
そんな中で気持ちを切り替えるための工夫などはありますか?

最近、料理にハマっています。もともとはあまり好きではなかったのですが、イラストを描くことと料理は、なんとなく脳の近い部分を使っている気がするんです。最近は参鶏湯を作りました。リフレッシュみたいな感じなんですかね。

昔はコンビニで食事を済ませることも多かったのですが、やっぱり飽きてしまって。

何か料理を作ると、“自分のためにいいことをしてるな”という気持ちになるんですよね。昔は節約やダイエットのために料理していましたが、今は“生活を強くするため”だと思うと、やる気がぐんと湧いてきます。

“生活を強くするため”のご自愛、とても素敵だと感じました。
制作活動って、きっと自分らしさとじっくり向き合う時間の連続でもありますよね。
自分の個性を大切にするためのヒントがあれば、ぜひ教えてください。

近年、AIがどんどん進化してきて、『イラストレーター』という仕事が今後どうなっていくのか、正直わからない部分もあります。そんな中で、うまく伝えられるかわからないのですが、“とにかくたくさん描いてみる”ことが大事なんじゃないかと思うんです。

「自分の好きなことを仕事にすると嫌いになってしまうのでは?」という話をたまに聞きますが、「まだチャレンジしていないのに、なぜわかるんだろう?」と思ってしまって。率直にもったいないな、と。好きなことがあるってそれだけで最強なのに、そこでやめてしまうんだって。

私自身、昔は“絵を描くことは誰にも迷惑をかけないから好き”だったのですが、今は“社会との接点を作ってくれるもの”だと感じています。

これまでの話を聞いていると、坂本さんにとって制作活動や日々の生活には、深い思いが込められていることがよくわかります。
そんな坂本さんにとって、愛媛はどんな場所でしょうか。

松山市の銀天街を描いたイラスト(2022)

愛媛は食が本当に美味しいなと思います。特に魚が美味しいですよね。ハマチは脂がのっていてコリコリしていますし。

10代の頃を思い返すと、苦しい思い出が多いのですが、それでも食べ物は美味しいし、景色も綺麗で、本当に良いところで育ったなと感じています。

東京に住み始めてもう約10年が経ちますが、やっぱり人が多いし、なんだか「ここじゃないな」という気持ちはずっと拭えません。

だからこそ、これからは愛媛のお仕事にもどんどんチャレンジしていきたいです。フォトスポットのイラスト作成や広告など、どんなお仕事でも嬉しいです。

最後に、坂本さんにとってイラストを描くということはどんな存在なのか教えてください。

やっぱりイラストを描くことは楽しいなと思います。20代の頃は強気な気持ちがあったのですが、次第に、イラストを描くことが自分にとって生活の一部なのかもしれないと思うようになりました。ある意味、満たされているのかもしれないとも感じています。

ありがたいことにお仕事も増えてきたので、今は次のステップとして、30代をどのように組み立てていくかを考えています。

今、お仕事をいただけていることも本当にありがたいなと思っています。

手を抜かずに向き合うことで、必ずどこかで繋がっていくはずなので、これからもとにかく描き続けていきたいです。

坂本さんのSNSはこちら
Instagram:https://www.instagram.com/tictacteccc/
公式サイト:www.aya-sakamoto.com

誰かと比べて焦ることも、立ち止まることもあったけれど、自分の歩幅で続けてきたから、今に繋がった」
―そんな坂本さんの歩みは、夢は自分自身で“育てていくもの”だと教えてくれました。
Sea Sideの次回の記事をお楽しみに。

risa / Writer

seaside-instagram

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