「私たちは双海とともに栄えていきたい。」愛媛県伊予市双海町で喫茶店兼ゲストハウス「ポパイ」を営む上田 沙耶さんの想いとは

上田 沙耶(うえだ さや)
1998年、愛媛県松山市生まれ。
3歳から徳島県、小学校6年生から横浜市で育ち東京の大学に進学。
2020年4月から伊予市の地域おこし協力隊に着任。
祖父母が経営する商店の2階で、
海に恋する泊まれる喫茶店「ポパイ」を営んでいる。

神奈川県横浜市で育った上田 沙耶さんは、祖父母の家がある愛媛県伊予市双海町を幼少期に訪れて魅力を感じ、現在はお祖父さんが営んでいた喫茶店を譲り受け、双海町で海に恋する泊まれる喫茶店「ポパイ」を営んでいます。

真っ直ぐな瞳の裏で、双海町の魅力を伝えるためにたくさんの葛藤と挑戦に立ち向かってきた上田さん。

今回は移住をして4年間、活動的に過ごされている上田 沙耶さんのことをお伺いしました。

目次

両親の帰省で一緒に訪れていた双海町

上田さんが、横浜市から双海町へ移住したきっかけを教えてください。

幼少期から、両親の帰省で双海町にある祖父母の家を訪れていました。双海にいた時は、祖父母がお店を営んでいてその手伝いをしていました。住んでいた横浜は、商店があまりなくチェーン店が多かったので、都市部の他の街と変わらない雰囲気でした。一方で、双海の雰囲気は双海にしかなくて、海もきれいで好きだったし、良いところだなと感じていました。

大学生になって、一人で帰ってきたときに、「もう田舎は人もおらん、商売にもならん、もう先がないんやけん帰ってこんでいい。」とおばあちゃんに言われました。この時、地域の課題・田舎の課題に目を向ける意識が生まれ、「大好きな双海町を守らないといけない!」という使命感が湧きました。

おじいちゃんに反対されても折れなかった双海への想い

その後、実際にどんな活動を始めたのでしょうか。

大学2年の終わりくらいから、ゲストハウスを作りたいと思っていました。それからの1年半は大学に通い、どうやったらゲストハウスができるかを考えながら、双海に通っては町のいろんな人の手伝いをしていました。1年の3分の1は双海に来ていたので、私を知ってくれる人もそれなりに増えてきて。

ゲストハウスをどうやって始めようか、と周りに相談していると「地域おこし協力隊というのがあるから良いんじゃない?活動費をもらいながらまちづくりができるので、活動の地盤を固められるから。」という話になって、地域おこし協力隊をやろうと思いました。

地域の人と関わって情報交換をして、信頼を得ることができたんですね。ただ、双海町で活動することを最初お祖父さんが反対していたんですよね?

そうですね。最初は祖父に反対されて、掃除が行き届いていないから良くないんだと思って、勝手に掃除をしていたら「何しよんだ!儲かるわけ無いだろ!大企業に勤めろ!それが安定や!」と言われてしまって、理解をしてもらえなかったです。

その時は、じいちゃんを説得することは諦めて、周りの人に働きかけて、地域おこし協力隊の先輩に誘ってもらってイベントなどに参加していました。

協力隊になることが決まって移住することになりましたが、じいちゃんはOKしてなかったです。ただ、自分の人生のために移住するし、じいちゃんのために移住するわけでもなければ、養ってほしい住まわせてほしいというわけではなかったので、何も言わず、ばあちゃんにも協力隊になったから移住するわーと言ったか言わなかったかわからない程度でした。

役場がアパートを提供してくれるので、役場に協力隊の隊員として勤めながらじいちゃんにあんまり近寄らずに、自分にできることを協力隊として活動していました。

その時、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の時期だったので、ゲストハウスの営業に向けての活動ができなかったんですよね。じいちゃんが活動を反対していたのもありましたが、コロナの影響で思うように活動できなかったことも理由です。なので、「地域商社」という形で、双海に来てもらわなくても双海の美味しいもので双海の魅力を知ってもらうという取り組みから始めました。1年は、地域商社に邁進して農家さんとか漁師さんのところに行って、オンラインで販売したり商品開発したりしていましたね。

地域商社は、どんな活動をしたのですか?

最初は、コロナの時期だったのでおうち需要が高まっていて、テレビでたまたま見かけたオンラインツアーなどを行っている会社がオンライン販売を行っているのを見かけて、気になって連絡して双海の商品も使ってくださいと、双海で送れるものを探してお願いしました。

商品はどうやって決めたのですか?

最初は、オンラインで売れるものありますか?と町のいろんな人たちに聞きに行って、商品を探しました。

そしたら「そのおばあちゃん味噌作っとるよ。」とか教えてくれて。その中でも下灘のハモをおすすめする人が多かったんですよね。当時、私はわからなかったので「下灘のハモってなんですか。」って聞いたら、「魚屋行ってみ。」と言われて。それで魚屋に行って。魚屋に行ったら「市場来いや〜!」って言われて市場に行って。そしたら漁師さんと仲良くなって、漁師さんめっちゃ良い人たちや〜と思っていたら、とても可愛がってくれて。「魚持って帰りや〜」とか言われて。

その時に、「下灘のハモうまいんぞ〜」とみんなが自信満々に言うので「確かにめっちゃ美味しいし、人も良い人達だし、これは魅力やわ。ちゃんとこれは届けたい。」と思いました。

なるほど、それが地域商社の始まりだったんですね。

そうですね。その後、色々な活動をして、メディアにも出演させていただき、徐々に知名度もあがってきて「あんたんとこの孫えらいじゃないか」みたいな声を、買い物に来るおばあちゃんとかが言ってくれて。じいちゃんもそれなりに活動とか私から聞かずとも知っていました。

たまに集まる親戚とのご飯に行ったときに、おじいちゃんが「お前そこまで本気なのか」「急に言いだしたただの思いつきだと思っていたけど、今やったらじいちゃんよりも知り合いが多いくらいいろんなところに顔だしているのは認めるしかない。応援しちゃる。」と言われて「よし、ついにやるぞ!」と思いました。

それが「ポパイ」の始まりだったんですね。ポパイを始めてからはどんなことを考えましたか?

ポパイを始めたときは、ゲストハウスをやりたかったのもあって、人が集まる場を作りたいと思っていました。ゲストハウスは、住居スペースだったところを改装する必要があって、すぐに手を付けられなかったので、まずは喫茶店をやろうと思いました。

喫茶店はもともとお店としてあったので、いろんな方に手伝ってもらって大掃除をして、磨いて土日だけ営業し始めました。すると、地元の小学生がポパイに遊びに来てくれたり、面白がって小学生が手伝ってくれたりして。

その1年の間に、資金調達したり改装計画を立てたりして、ついに移住3年目に、長年の夢だったゲストハウスを開業できました。

1年目は、協力隊だから赤字にならなければ良いくらいでポパイを営業していましたが、徐々に楽しくなってくると、お客さんも増えてきて、もうちょっとちゃんと運営したいなと思い、2023年から平日の営業も始めました。

上田さんがやりたかったことが徐々に出来るようになったんですね。ポパイはとっても居心地の良い喫茶店ですよね。

横浜と双海という2つの縁のある町

SNSで東京でも活動をされているのを見たことがあるのですが、東京にも行かれていますよね?

そうですね。東京に商品開発の支援で販売に行くとか、視察などで他のまちづくりを見るとか、全国のいろいろな場所を訪れていますね。

横浜は地元だと思いますが、どんな印象ですか?

横浜も好きですね。双海のほうが住みやすいけど、良いところ。地元はやっぱり、青春時代を過ごした横浜だなと思います。野球が好きなので横浜DeNAベイスターズの応援とか。そういったスポーツ観戦もたまには娯楽として楽しみたいなと思います。

横浜と双海、それぞれにどういった印象がありますか?

どっちも良いところだなと思います。どちらも良し悪しがあると思いますね。ないものねだりだなぁって。ただ、双海に住んで双海で仕事できる人って限られるじゃないですか。

自分で自営業してる人とか、自分で仕事を作れる人だとここで住みながら仕事ができるのですが、やっている人は少ないですね。なので、私も頑張って双海で仕事を作って双海に住んでみたいなと思います。

双海で仕事を作るのは簡単ではないと思います。もともと住んでいた人との関わりに壁はなかったのでしょうか。

双海に住む一住人になる覚悟ができていたので、別にそこはあんまり感じなかったですね。

ポパイの孫と言ったら通じるのも大きかったです。あと、地域おこし協力隊っていう役職も大きかったです。地域おこし協力隊は、過去に4名が活動していたので、その地盤はあって、双海をどうにかしてくれる人が来たぞ!という町の雰囲気がありました。良い意味でも悪い意味でも期待感がありましたね。気合を入れて頑張っていてもそれが仕事だから、頑張れと周囲の方々は言ってくれました。

これから先の双海への想い

たくさんの活動をしてきて、ポパイを知る人も増えたのではないでしょうか。上田さんにとって、今までで嬉しかったことは何でしょうか?

一番嬉しかったと思ったことは、芸人・チュートリアルの徳井さんがポパイを訪れたことですね(笑)頑張ったら好きな芸能人に会えるんだと思いました(笑)

ただやっぱり徳井さんだけじゃなく、自分が店に立っていると会いに来てくれる人が多くて、自分が出向かずとも会いたい人が会いに来てくれるのはとても嬉しいです。

来てくれた人が双海良い場所だね、ポパイ良い場所だね、ご飯美味しかったと言ってくれることがめちゃくちゃ気持ち良いというか、心のオアシスというか…。エネルギーになります。

上田さんは「双海のファミリーを増やすこと」をずっと目指されていると思いますが、それはどういったことなのでしょうか?

双海は人口3000人*くらいしかいないので、若い人たちがもっと増えて、それぞれが双海を盛り上げていこう!という活気のある町になったら楽しいんだろうなと思います。
※令和2年国勢調査参照( https://www.city.iyo.lg.jp/soumukikaku/shisei/tokei/population/area.html

私はポパイをやって、他の人は別の事業を始めてくれたらもっと楽しい町になるだろうし、同時にそういう人が来て欲しいなと思ったときに、やっぱり双海に魅力がないと難しいのだろうなと思います。
実際に、ポパイに長期で泊まっている人や東京や大阪から手伝いに来てくれている学生のスタッフも多くて、そういうのがまさに関係人口(=ファミリー)だと思っています。

双海良いところだね、って私達の活動をきっかけに思ってくれることが、これからの希望つながるというか、私たちがいる意味だし、そんな風に思える機会、双海の魅力を減らさずに盛り上げていけたら良いなと思っています。

直近も”双海灘町横丁はしご酒”というイベントを商店街で開催していますよね。

そうですね。商店街には夜空いているお店がほとんどないので、商店街を盛り上げて活性化させるためにも、この町にもコンテンツを増やそう!と思い始めました。たくさんのお客さんに来てもらいたいなと思っています。「ポパイ」を含め私たちは、町づくり会社としてありたいと思っていて。双海とともに栄えていきたいと思っています。

双海とともに栄えていきたい。ってとても良いですね。
ありがとうございます。
最後に、上田さん自身のこれからのやりたいことを教えてください。

10年位で自分の理想としている大きなビジョンである「双海のファミリーを増やすこと」を形づくることができるようになりたいなと思います。10年後ぐらいにふぅと一息できると良いな。

その後は、他の地域にコンサルティングとして呼ばれたりとか、他の社会課題を解決するベンチャーで手伝ってくれと言われたりとか、そんな風に世の中にインパクトを残せたら良いなと思います。

Writer / ゆき

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