「成人の日」に贈るエール

成人の日ってなんだろう。

辞書で引くと「大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます日」とある。

ただ、それは日本が決めた法律上の話であって、「今日から君は大人です。大人の自覚を持ってください。」だなんて言われても、地続きの日常で何か変化が起こるわけでも、急に身体に大きな変化が生じるわけでもない。

あくまでも区切りであって、昨日と何にも変わりやしない。

じゃあ、成人や大人とは一体何を指すのか。”ハタチ”になったのは遠い昔の話なのだけど、当時はすごく尖っていた私はそんなふうに思った記憶がある。(そして今思い出しても、恥ずかしくなるくらいに尖りすぎていたな、と猛省したりもする。)

結局「成人」も「大人」もただの名称に過ぎなくて、物理的に年齢で変わるものではない。成人を迎えても子どものままで成長が止まってしまった大人はいるし、逆も然り。

ただ、強制的に区切りを設けることで地続きだった日常を切り替えるための「始まり」だったのだなと思う。

「大人」の始まりを作ることで、人生への責任を自分で負っていく準備を始めるだけなのだ。

全責任を自分で負わなければならない。と思うと少し荷が重いし、物騒な気もする。

それならばずっと子どもの方がいいじゃん、と思ったりもするのではなかろうか。(二十歳の頃の私がそうだった。)

もちろん、学生だからこそ感じられる楽しみや良い意味での不自由さ、青春の味わいはある。

でも、成人を迎えてからの方が、ずっと自由で日常に色があると思うのだ。

少なくとも、私自身や周りの友人はそうだった。

「あの頃も楽しかったけど、今の方がずっと自由で楽しいよねー。」なんて、話したりもする。

つまるところ、これは私調べにはなるが今の方がずっと楽しい。

今この文章を読んでいるきみが、毎日が本当につまらなくて、退屈で平凡で。

明日なんて来なくてもいい。と思った日も、隕石が落ちて地球が滅びてしまえばいい、と願った夜もあったとしても。

生き延びさえすれば、大体のことはどうにでもなる。

どうにもならないときは、誰かに寄りかかればいい。

ひたすらに自分の人生を豊かにする方法を考えて、まっすぐに突き進んでいけばいい。

時には努力することも、耐えることも必要だ。

でも、前に進みさえすれば必ず視界が開く瞬間がやってくるはずだ。

成人の日を迎えた全てのみなさんへ、

そして、成人を迎えたあの頃の私に、心からいっぱいのエールを送りたい。

きみが思っている以上に、未来はサイコーだよ。

risa / Writer

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