雑誌編集長だった岡田恵美さんが今まで感じてきた愛媛への想いやこれからkoe+(コエ)で叶えたい未来とは。

岡田 恵美(おかだ めぐみ)
1992年、愛媛県松山市生まれ。
2015年に松山大学経済学部を卒業後、株式会社エス・ピー・シーに入社。
『タウン情報まつやま』を発刊しているメディア事業部にて企画・営業チームに所属
2018年にタウン情報事業部 編集チームに異動。
2021年に副編集長、2022年に編集長に就任。
2023年12月に退職。2024年1月よりkoe+(コエ)として独立し、愛媛を拠点に県内外のメディアの編集・コンテンツ作成に携わっている。

愛媛県松山市で生まれ育った岡田恵美さんは、月刊誌『タウン情報まつやま』で企画・営業・編集に携わり、副編集長・編集長を務めました。その経験や愛媛への想いから、2024年1月から独立という自分の道を選んだ岡田さん。

今回は、愛媛県の魅力を様々な方法で届けている岡田恵美さんの今まで感じてきたことや叶えたい未来のことをお伺いしました。

目次

雑誌編集部に就職するまでの道のり

まず最初に、岡田さんはどんな大学時代を過ごしたのでしょうか?

岡田さん トーク

大学時代は、ずっとテニスをしていました。中学生の時からずっと続けていたのですが、大学もテニスをするという前提で松山大学に入りました。

在学中は、部活でメンバーと力を合わせてインターカレッジ(全日本学生テニス選手権大会)などに出場するほど熱心に部活をしていましたが、普段は友達と県内外にドライブに行ったり、夜は飲食店のバイトをしたりしていました。

在学中はテニス一本だったんですね。

そうですね、ただ旅行がすごく好きだったので、長期休みがあると旅行するのが楽しみでした。家族とは年に1回ぐらいのペースで、フランスやシンガポール、韓国など海外旅行に行っていました。

英語をあまり話すことができないのですが、昔から怖いもの知らずな性格だったので、一人で飲食店で注文してみたりして、現地の人と関わる機会をつくって刺激をもらっていました。あとは、写真を撮ることが大学時代から好きだったこともあり、同じゼミの写真好きの人たちと非公式のカメラ部を作って、一緒に写真を撮りに行ったりしていました。

一応もの作りに取り組んでいたゼミに所属していたのですが、当時は部活に熱中しすぎて、自分の将来のことをあまり考えることができていなかったですね。

いざ就職活動となって自分自身、何がしたいんだろうって考えました。今まで愛媛から出たこともなく、愛媛での暮らしがすごく好きだったので、もうこれだけ愛媛を好きなら、愛媛のまち情報に詳しい人になりたいって思うようになりました。

その後、詳しくなるためにどういう仕事ができるだろうと考えた時に、思いついたのが母が昔から愛読していた『タウン情報まつやま』の編集という仕事だったんです。

雑誌編集部での苦悩や楽しかったこと

最初は、企画・営業チームに配属されたと思うんですが、当時の心境はいかがでしたか?

本当は編集部のメンバーとして入社したかったのですが、当時編集部に新卒の採用がなく、企画・営業チームのスタッフとして配属されることになりました。企画・営業チームは、営業の仕事だけではなく、自分たちで企画を作り、デザイナーとの誌面デザインの打ち合わせから、お客様への提案、受注後の取材・記事作成までを通して行うチームです。

企画・営業チームという名前なので営業を担当するイメージが強いのですが、編集チームのような動きもしていました。

岡田さん トーク中

そうだったのですね。とても営業力や企画力が鍛えられたのではないでしょうか。

そうですね。営業を担当できて良かったなと思います。クライアントワークは何歳になってもとても重要ですし、営業を担当しないまま編集者になってたら、お客様が直接関わるタイアップ企画を担当した際に、上手くディレクションができなかっただろうなと思います。あの時の3年間は重要でした。

ただ、企画・営業チームが担当する企画となると、お客様からお金をいただかないと掲載ができないことがほとんどなので、それがすこし悔しくて。「このお店はこの企画にピッタリだな」と思っても、予算の都合で掲載できない場合があることがジレンマでしたね。

そういった「広告出稿の有無関係なく、面白い特集を作りたい」という欲がどんどん湧いてきて、編集部へ異動したいという気持ちが、より強いものになりました。編集部に異動して、面白い企画や特集を作っていく中で、「広告を掲載したい」と、お店の方から逆に思っていただけるパターンもあると考えていたので、そのためにも掲載したい本や企画づくりのスキルを極めたいと思いました。

その後、編集部への異動希望を出し続けた結果、念願叶って異動することができました。

企画・営業チームと編集チームを経験して、どう感じましたか?

正直、大変でした(笑)。異動当初は、たくさん挫折しましたね。異動したのが入社して4年目の時でしたが、編集チームとしては1年目じゃないですか。その時、先輩方の企画作りのスキルが、自分よりはるかに高いと思いました。編集チームに異動して、はじめてメイン特集を担当させていただいた時も、なかなか編集長チェックが通らなかったり、数十ページにわたるデザイン・レイアウトの打ち合わせをデザイナーと行ったり、特集の担当者として全体のディレクションや、先輩に指示出しをしないといけなかったり。当時はいろいろな葛藤があったと思いますね。

タウン情報松山とテーブル

大変でしたね。今までたくさんの苦労や葛藤をされていたと思いますが、嬉しい瞬間はどんな瞬間なのでしょうか。

本を読者のみなさまに届けることができることももちろんなのですが、掲載されたお店の方が喜んでくれたり、「掲載されたおかげでお客さんがきたよ!」とか、そういった嬉しい声を直接いただいたりすることがあって、本当によかったなと思いました。

素敵なことですね。

そうですね。本当にあたたかい愛媛のみなさんが大好きなのですが、編集者として掲載いただいたお店の方とも近い距離感でお話すると、そのあたたかさをより実感できました。「ありがとう」の言葉が、私の仕事のモチベーションに繋がって、これからも続けていこうという気持ちになりますね。

“直接声が届くこと”ってすごく嬉しいですね。そんな中、副編集長や編集長になって立場が変わったかと思いますが、何か感じ方の変化はありましたか?

副編集長や編集長になると、今まで以上に責任やプレッシャーを感じるようになりました。また、チームのみんなに自分の気持ちや意思を誤解がないように言葉にして伝えることの難しさを、より強く感じるようになりました。自分のこと以外を表現することは得意なのですが、自分のこととなるとどうも苦手で…。

そうなんですね。副編集長を担当していた2022年には、デジタルメディア事業部に異動もされたと思いますが、どんな経緯があったのでしょうか?

社内でデジタルメディアをこれまで以上に力を入れて育てる方針になったこと、そして大規模なデジタルプロジェクトの広報の仕事がはじまるタイミングで、「デジタルの事業部に異動してみないか?」と声がかかったんです。

当時はずっと雑誌を含む紙媒体に携わっていて、好きなことではあったのですが、「環境を変えてみたい」「デジタルにも強くなりたい」「新しい武器を手に入れたい」といった気持ちがあったので、デジタルメディア事業部に異動することを決め、Webメディア『えひめのあぷり』の編集長になりました。

なるほど。やることが大きく変わりましたね。紙とデジタル両方のメディアを経験した岡田さんとしては、どちらの方が好きですか?

好きなのは紙ですね。雑誌を作ることがやっぱり楽しくて。これからも紙媒体が好きだと思います。

そうだったのですね。デジタルでいうと岡田さんは、編集部の頃からSNSでも積極的に発信していたと思うのですが、きっかけは何だったでしょうか。

「SNSでの発信をやろう」と思ったきっかけは、編集部の一員として個人でも影響力をしっかりとつけたいと思ったことですね。

雑誌は月刊誌だったので、たとえば今週あるイベント情報とか、タイムリーな情報の発信が難しいじゃないですか。だからSNSを通して、タイムリーな情報や、仕事やプライベートで見つけた個人的に良いなと思ったスポットをもっと自由に届けたいなと思ったんです。

koe+(コエ)で叶えたい未来

これまで会社で勤めてたお話をいただいたのですが、どこかのタイミングで独立を考えられたのかなと思いました。それはいつだったのでしょうか。

実は、入社したときから、最終的にどこかで独立してチャレンジしてみたいと漠然と思っていたんです

最初は自分が編集長になれるとは思っていませんでしたが、編集部に入り、経験を積んでいくうちに編集愛が強くなるのと同時に、どんどん欲が生まれてきて、ここまで続けてきた以上、編集長の役割まで経験し、すべてを吸収した上で独立しようと決意しました。ありがたいことに編集長を任せていただけることになり、1年間というある程度の期間を決めて退職することも当時の上司に話していました。

1年後に退職すると分かっていて編集長を任せてくれるというのは、会社と岡田さんの関係値があってこそのお話ですね。

とても大事な時期で、チームのみんなも大変な状況の中、自分都合の考えだったと思うのですが、理解してくださったので、ありがたかったです。良い会社でした、本当に。

あと独立した理由がもうひとつあって。自社メディアだけではなく、他社のメディアにも関わりたいとか、あの社外のプロジェクトメンバーに加わりたい、あの人と一緒に仕事がしたいと思うことが​​在職中にたくさんあったんです。

愛媛には居たいけど東京の仕事もしたいとか。どんどん「やりたいこと」が増えていって。もちろん愛媛に貢献したいという軸はブレたことはないのですが、だからといって、エリアを愛媛に限定する必要はないと思いました。

そして2024年1月にkoe+(コエ)として独立したんですね。

はい。個人事業主なので特に屋号は必要なかったのですが、ひとつの覚悟を決めたいという気持ちで、koe+(コエ)という屋号をつけました。

Koeの名刺
Instagramより引用

今独立して4ヶ月(取材当時)ほど経ちましたが、すごくありがたいことにお仕事のご相談やご依頼をたくさんいただき、今はがむしゃらに走ってるという感じです。

なるほど。独立後のお仕事は、ライティングから編集まで担当されているのですか?

ライティングだけの時もあれば、企画立案から一貫して担当したり、プロジェクトのディレクションという立場で参加させていただいたり、その他にも、SNSのコンサルティングを行ったりしています。

そうだったんですね。元々やってるライティングや編集から軸はぶらさないのでしょうか?それとも活動の幅は広がっていくのでしょうか?

ライティングや編集は、元々好きなことなので今後も軸ですね。先ほど「場所を愛媛に留める必要はない」と言いましたが、やはり愛媛愛が強いこと、そして「地方にいてもチャンスはあるし、何でもチャレンジできる」ということを形にするために、“愛媛が拠点の編集者”でありたいと思っています。

仕事の幅は、将来的に広げていきたいと思っています。最近も、東京の出版社の方とお仕事をさせていただく機会をいただいたのですが、そのような大手の出版社の方とお仕事をさせていただくことなど、まだ経験したことがないことへの挑戦は常に続けていきたいですね。

あと、最近インスタグラムのDM(ダイレクトメッセージ)で大学生から情報発信のやり方などの相談をもらうことがあるんです。今は誰でも発信者になれる時代なので、同じような悩みを抱えている人も多いのではと思うんですよね。だから、コンテンツの作り方や、文章作成のコツなどを発信できる機会を作れたらと考えています。

素敵な未来ですね。愛媛や東京など場所を関係なく、岡田さんがやりたいことが叶えられる未来だなと思います。

今までの経験を通して感じる愛媛への想い

岡田さん トーク

今の時代はいろんな働き方ができると思うんです。私自身、編集経験ゼロの状態で出版業界に飛び込み、9年後にはフリーランスになっていました。いつ、どうなるかという未来の予想はできていませんでしたが、自分が「こうなりたい」と思ったことを信じて進んできました。特に若い世代の方にとって、「愛媛でもこんなことができるんだ」や、「こんなことをやっている人いるんだ」というロールモデルのような存在になれたら嬉しいなぁ、と思っています。

“愛媛でフリーランスをする”という働き方は、まだまだ新しい働き方だなと思っているので、愛媛の学生からすると新しい発見にはなるかなと思っています。

岡田さんのおかげで、ひとつ扉が開いたように感じています。もうすでにロールモデルですね。

そんなことないです。最近の大学生は、意識がとても高いみたいです。コミュニティに自分から積極的に飛び込んでいってるなぁという印象があって、私の方が逆に刺激をもらっています。テニスしかしてこなかった学生時代の自分にも、「こんな学生生活もあるんだよ」と、教えてあげたいです(笑)。ただ、そういったモチベーションが高い学生が就職などで愛媛県から出ていってしまうのは、もったいないなと思います。

そうですね。

私も愛媛から東京に出ていきましたが、出ていった私のような人がいずれ戻りたいって思えるような場所でずっとあってほしいなとは思ってるので、居続けることが難しくても、2拠点生活など、何かしら愛媛に貢献できるような暮らしの提案が、私たちSea Sideを通してもできたらいいなと思います。

そうですね。愛媛の魅力は食や体験、自然など、たくさんあると思うんですよね。県外の人だけではなく、愛媛の人にも「愛媛ってやっぱいいよね」という良さを再発見してもらえる、きっかけ作りができたらなと思って、これからもSNSの情報発信を続けていきたいと思います。

岡田さんにとって愛媛はどんな場所でしょうか。

本当にアットホーム感というか、ここが自分の居場所と思える場所です。

そう思えるのは、身近にある自然、そして人のあたたかさをとても感じるからだと思います。あとは、地方だけど、常に新しいニュースが起きてるから、私は愛媛を面白い場所だなと思っています。みんなにその面白さを知ってもらえたらなと思います。

面白い場所、というのは具体的にどんな瞬間に面白いと思うのでしょうか。

人と人の距離が近かったり、移住者も年々増えているので、新しい変化が起きていくことが面白いなと思います。

予期せぬ出会いがあったりだとか。人と人とで様々な繋がりができて、その良い繋がりが良いものや、ことを呼んできてくれることもあります。

愛媛の人は、出会いやご縁を大切にしてる人たちが多いなぁと思っていて、仲良くなると「この人と合いそうだな」と、人がご縁を繋ぎでくれることもあります。そういうところが愛を感じる場所だなと思っていて、私にとってはそれが心地が良いです。

最後に

ありがとうございます。最後に読んでくださっている方へ一言お願いします。

私が独立したときにつけたkoe+のキャッチフレーズが「想像を超える、わくわくをクリエイト。」です

誰かがワクワクすることや、心がときめくことを一緒に作っていきたいという想いが込められています。ワクワクって、何かをはじめる原動力になると思うんですよね。

やりたいことを見つけた時に、はじめるまでの勇気を出すことが難しい人もいると思います。

私自身、9年ぐらい編集の仕事を続けてきましたが、できることが増えていく一方、守るものも多くなり、一歩踏み出すことへの恐怖を感じることもありました。
しかし、一歩踏み出した先、自分にとっては失敗と思うことが起きたとしても、絶対にその経験が次に生かされると思っています。勇気を出して踏み出した一歩が、必ず何かに繋がっているので、「やってみたい」とワクワクしたときに、自分の心を信じて踏み出してみてください。

岡田さんのSNSはこちら
Instagram:https://www.instagram.com/tj_okachan/
koe+公式サイト:https://koe-plus-ehime.com/

ゆき / Writer

seaside-instagram

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