「だんだん。」が迎えて、つないでいく

だんだん。

今年も年末の帰省シーズンがやってきた!

東京に居を構えて今年で大体4年目。懐かしい地元が迎えてくれる。

冒頭で記した「だんだん」は愛媛県を含む西日本の一部地域の方言で「ありがとう」の意だ。

とはいえ、生まれてから20年ほど私はずっと愛媛に住んでいたのだけど、日常生活や友人との会話で使ったことも、使っている人もなかなか見たことがない。

ただ、空港や観光地などの多くの人が集まる場所で、きっと耳にしたことのある方言の1つなのではないだろうか。

特に、かの有名なあの地方銀行のATMの音声案内!(きっと愛媛県民なら聞いたことがある人も多いはず!)

抑揚のあるあの”だんだん”という表現は、どこか懐かしい、田舎のおばあちゃんちに帰ってきたような、冬におばあちゃんちで寝転がるこたつのような温もりがある。

そもそも、同じ言葉を繰り返すとなんだか柔らかな印象になるような気がしている。

言葉の圧が少ない、というか「わたしはあなたの味方です!」と主張するような表現。

「だんだん」という言葉の響きも、「少しずつ」の意味での「段々」や、斜面いっぱいに広がったみかんの段々畑を彷彿するような、なんとなく、だけれど愛媛の暖かさと通ずる部分があるような気がしている。

話が変わるけれども、愛媛を離れてしばらく東京で暮らしていると自然と、さも当然のごとく。毎日が標準語に染まってしまうのだ。

でも、松山空港を降り立って空港のゲートを一歩外へ出た瞬間から空気を一つ、吸い込んで。「あ〜〜〜〜!愛媛だ〜〜!」と叫びたくなる。

そうして、知らぬ間に伊予弁を自由自在に操る”本来の私”に戻ってしまう。

空港のゲートを出てすぐの場所にあるこのみかんジュースを模したタワー!

つい、「これが愛媛だー!」なんてふうに叫びたくなる。

だからこそ地元に帰ったときは、古くからの友人の前で標準語を自分の口から不意に発してしまうことが、なんだか気恥ずかしくてたまらない。

「え〜、東京に染まっちゃったの?」なんて聞かれてしまうと、赤面ものだ。

その逆も然り。東京で地元が一緒の友人に会う時はつい、自然と方言が出てしまう。

ただそこは東京。周囲が流暢な標準語で話す中、自分たちだけが方言で話しているとその空間から疎外されてしまったような宙ぶらりんの心地になってしまうのだけど、同時に「これが伊予弁だ!」なんて、なんだか誇らしくも思ってしまったりもする。

そうして、つい少し声のトーンを上げて意気揚々と伊予弁で「ほやけんよ〜!(だからだよ〜!とほとんど同義語)」なんて、話してしまうのだ。

伊予弁はかわいい。今風の言葉で言うならば、伊予弁は正義だ!!

伊予弁も、自分の生まれ育った土地も、記憶も、景色も、伝統さえも。

いつかなくなってしまわないように、「だんだん」を”ちゃあんと”つないでいきたい。

そんなふうに、ちょっぴり気恥ずかしくも、でもみんなに自慢をしたくなるような愛らしい伊予弁や愛媛の温かな魅力。

きっとあなたにもわかるのではないかと、同郷として密かに願っています。

まだわからないよ、とこっそりとおっしゃる方。愛媛とのつながりがまだない方。

過去の記事を宜しければぜひ1つ、2つと読んでみてください。

Sea Sideは愛媛の魅力をぎゅっと詰め込んでいるまだ途中の、瀬戸内のやわらかな追い風のようなみなさんのやさしさや温かさを帆でいっぱいに受けている、そんな愛媛のメディアです。

risa / Writer

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