今年も1年の始まりの日からいろんなことがありましたね。
良いことばかりでは決してないけれども、少しずつ希望がもてるような世の中に進んでいってほしい、と願ってやみません。
そして、Sea Sideは誰かの一歩を踏み出す“きっかけ”に少しでもなれたら、との思いで2024年もさまざまな方や場所にご取材をさせていただき、『愛媛』に纏わる計23本の記事を届けることができました。
ご協力をいただいた皆さま、そして読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
読んでくださる方がいなければ、この広大なインターネットの海にぷかぷかと浮かぶコンテンツになってしまうわけで。
Sea Sideの発信したものが、「誰かに届く」ということは、わたしたちにとってこれ以上になく幸福なことです。
これからも、同じ『愛媛』にゆかりがある者として読んでくださる方の拠り所になれるような場を作っていきたい、と思っている所存です。(それはまた2025年の宿題ですね)
そして、Sea Sideとしては、いろいろなことがあったけれども、穏やかな波のように繰り返す瀬戸内の海、まるで『凪いだ海』のような1年でした。
2025年はまた気持ちを新たに、『朝焼けのような海』を目指して帆をすすめていけたら、と思います。
そして話は変わりますが、最後に1つだけお話を。
最近、『人生』というものをよく考えます。
何やら壮大なテーマに思えますが、意外とそんなこともなく、まるで『人生ゲーム』のように俯瞰してみるとただの日常の繰り返しだったりもします。
生活を繰り返していると時に、人との別れや決別や決裂を経たり、取り戻すことができない過去の日々に思いを馳せたり。
「選択を間違えてしまったかな」と後悔したり、「あの時こうすればよかった」という出来事が起こったり。
そんなことがあなたにもきっとあったのではないかと思います。
だからこそ、ものすごい速さで過ぎ去っていく日々の中で、意識的にふと立ち止まってみることも大切なのではないか、と。
握り締めた拳の中をそっと開いてみると、選び続けた“答え”だけが今の手元に残っているわけで。
そうやって時々、“答え合わせ”をしながら、「それでも今を生きていく」。
もしかすると答えが出るのは数年後かもしれないし、数十年後かもしれない。
いつか見つかる答えをほんのちょっとだけ待ちわびながら、泣いたり笑ったり、時々休んだりして、『生きる』を繰り返すことが『人生』なのだなと、今はそう思っています。
ということで、今年もよく『人生』を頑張りました。
生きているだけで花丸満点。
2025年もどうか、皆さんに沢山の幸が降り注ぎますように。
risa / Writer
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